~あらすじ~
咸陽の後宮では函谷関に火の手が上がったことを聞きつけて陽と向が心配していた。
ふたりはもしもの時のことを考えて出来る限りの準備をしたうえで、秦軍の勝利を祈った。
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成恢を討ち取った桓騎たちはその場を脱し、来た時と同じ方法で函谷関まで戻って行った。
成恢の首の代償も大きく、桓騎軍の持ち場は大いに侵攻されており、ついに函谷関の上にある三階建ての望楼に火の手が上がってしまった。
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韓軍総大将の成恢まですぐそこの距離に迫った張唐将軍は、兜を脱ぎ捨て自分の人生を振り返っていた。
張唐将軍いわく、自分は齢十五にして初陣を飾りそれから五十年、戦場を渡り歩いてきた。
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地上に降り立った桓騎軍には張唐将軍たちもついてきており、全部で八十騎ほどであった。
いきなり目の前に現れた得体のしれない騎馬隊に対し、周りの魏兵たちが戸惑っていると、桓騎軍は唐突に攻撃を仕掛ける。
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張唐軍はやって来た巨大井闌車に対応できず、函谷関に梯子をかけられてしまう。
さらに壁に打ち込まれた床弩の矢を利用して登ってくる敵兵も数多く存在するため、張唐軍は混乱していた。
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騰は、隆国軍を中央軍として両翼を置くという配置を全軍に指示し、録鳴未軍と干央軍に救援を送らない決断を下した。
録鳴未軍と干央軍は敵の包囲を受けているため、この判断は両軍を見捨てることを意味する。
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巨大な戦象たちを前に録鳴未軍や干央軍は劣勢に陥るが騰は、獣ごときに遅れをとる二人ではない、と援軍や一時退却を行わない判断を下した。
録鳴未は戦象に乗っている敵将の姿を見つけると、これをめがけて突撃していく。
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斜陣がけは横陣に斜めに突入していくことで、陣内に斜めの力を伝播させ、敵陣を乱れさせる戦術。
これは机上の空論であり実戦で成功させることは難しいとされていたが、今までのところ蒙武の斜陣がけは成功していた。
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